人は「阿(あ)」と産まれた瞬間から「吽(うん)」と口をつむる最期まで命ある限り成長や進化を求め続けます
小さな赤子は産まれたら息を吸い大きな声で泣き叫び母親の温もりを知り、やがて言葉を覚え歩き凄まじい勢で成長していきます
大きくなるとあれも欲しいこれも欲しいかっこよくなりたいや可愛くなりたいと
髪の毛を染めてみたりアクセサリーを身に付けてみたり
歳を重ねればヒザや腰、眼など身体の衰えがでてくると良くなるように病院やリハビリに通ったり
幾つになっても成長や進化を求め続けます
私は僧侶になり3年程経った頃、
四国へお遍路へ行ってきました
最初は右も左も解らず自分がどんなペースでどれだけ歩けるかも分からない
足にはたくさんマメができ初期段階でもうこれ以上歩けないと思い激痛と涙を堪えながら遍路宿にたどり着いたのを今でも鮮明に記憶しています
そこの遍路宿のおじいさんが挨拶を交わすやいなや「足みせてごらん」と
針と糸と消毒薬で治療してもらうと不思議と痛みがとれ、次の日には昨日の激痛が嘘のように歩くことができました
行く先行く先沢山の人と出会いお接待を頂き、学校では習わない学びを沢山経験させて頂きました
やがて、日を増す毎にペースも上がり
呼吸を整え歩けるように成長していく自分が居ました。
しかし今度は歯を痛めました。
立ち止まり歯医者へ駆け込み
応急処置をしてもらい歯の有難みを噛み締めまた歩きます。
今度は足首を捻りました。
ペースが崩れるのを焦りながら2日程はゆっくりと歩きました。
次は発熱。さすがに1日寝込みましたが
翌日元気に回復しまた歩きます。
そう。きっとそうなのです。
立ち止まって回復してまた歩く。
人はきっと立ち止まってしまう事に恐れています。
どうしようも無くなった時は立ち止まり心身を休める。緩める。そうする事によって視野がかわり新たな気づきが生まれ、回復してまた歩き出し成長していきます。
人生この繰り返しなのです。
お遍路を通して
心身を休める事で今まで気が付かなかった事にたくさん気づく事ができ少し自分を知る事ができた気がします。
この気付きこそお大師様からのプレゼントだったのかもしれません。
毎月18日午後2時~
護摩の火を観て心身を整えに是非お越しください。
お参りお待ちしております。
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